「道は開ける」
第十四章 恩知らずを気にしない方法
人間とは生まれつき感謝を忘れやすくできている。だから絶えず感謝を期待してることは、みずから進んで心痛を求めていると言ってもよい。

幸福を発見したいと願うなら、感謝とか恩知らずなどを考えずに、与えるという内面の喜びのために与えるべきである。

感謝することは大切なことだが、感謝は期待するもんではない。

「ありがとう」の一言がいえない人間がどれほどいるか?
心のこもっていないうわっつらの「感謝」がどれほどあるか?
見返りを期待して、何かを与える人間がどれほどいるか?

私自身、いろんな人間を見てきて「なんでなんやろ?」
と考えた時期があった。

結論は、それぞれ育った環境も違うし、価値観も違うのだから、
仕方のないこと。

だから、はじめから感謝など期待しないこと。
そうすれば、感謝されなくてもイライラすることもない。
また、ちょっと感謝されただけでも嬉しくなる。


親が子を育てるように、人にも無償の愛を与える。
これこそ、与える喜びのために与えるということでしょう。

恩知らずについて憤慨したり、心を痛めたりしないための第三の鉄則を掲げよう。

A 恩知らずを気に病むかわりに、むしろ恩知らずを予期しよう。キリストは一日に十人のライ病患者をいやしたが、キリストに感謝したのはただ一人だけだったことを思い起こそう。キリストが受けた以上の感謝を期待するのは無理ではあるまいか?

B 幸福を見つける唯一の方法は、感謝を期待することではなく、与える喜びのために与えることである。

C 感謝の念は後天的に「育まれた」特性であることを思い出そう。だから、子供に感謝の念を植えつけるためには、感謝の念を持つように子供に教えなければならない。




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